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「生きがいとは何か?」その9

今年早々届いた友人からの手紙の返事は
半年近く経ったのに、まだ書いていない…
とりあえず、ハガキだけ出したきりで…
右手の腱鞘炎が再発して
ペンが持てなかった…ってこともある

パソコンで打って印刷しようかのぅ…🤔
とか思いながら、ぐずぐず
前回書き留めたのと一緒に整理して返事しようかな

今期の朝ドラ「らんまん」
友人も植物が好きだから観てるかな?
「生きがい」のテーマにもリンクしてる気がする

前回の記事で引用した、真の「生きがい」について箇所

「人は、自分だけの「生きがい」を探しているにもかかわらず、誰かと同じように生きようとする。自分は世にただひとつの存在なのに、誰かのように生きようとする。そうした途端に見えにくくなるのが「生きがい」。「生きがいは、個の生を根底から支えるもの。それを発見するには、自分の人生と深くつながらなくてはならない。」
(「名著の話 僕とカフカのひきこもり」伊集院光著より)

これなんか、藤丸が万太郎に悩みをぶつけて
万太郎が藤丸にかけた言葉と意味は同じなんじゃないかなぁ?

この世にただ一つの、藤丸次郎の特性に合うたやり方を探したらえい
by万太郎
(7/19第78回放送の大学を辞めるという藤丸へのアドバイス)

社会のこうあるべきとか
誰かと比較しないで
自分に合った生きがいを見つけたらいい

それも、人生を賭して、なんて大きなものじゃなくていい
名を残すことができなくてもいい
その都度、置かれた環境や状況
その時々で、どんどん変えてもいい

人生のもっと早い段階で、こう思えていたなら…

最低限の基礎学力を身に付けた後は
自分の生きがいを探すための学びに時間を費やせる
自分に合った学び方を選べる
それが公教育のデフォルトだったなら…

私も、もっと早い段階で
肩の力を抜いて生きられた気がする


最後に
若松英輔著/「詩集 たましいの世話」より

「開花のとき」

個性を 封じ込めるもの
個性的で あろうとすること

悲しみに 閉じ込めるもの
悲しむのを やめようとすること

言葉を 見えなくするもの
何もかも言葉で 語り尽くせると思うこと

わたしを 見失わせるもの
自分以外の誰かに なろうとすること

情愛を 忘れさせるもの
誰かを懸命に 愛そうとすること

愛は 意思したときよりも
未知なる者に 求められたとき
開花する


「たましいの世話」

暴君ネロに仕え
ある時期は 王を諫めたが
ついには いのちを奪われた
哲学者セネカが 書いている

忙しすぎてはいけない
世の中のことに
時間を奪われ
たましいを世話するという
いちばん
大切な仕事ができなくなる

傷ついた たましいを
慰めるという
高貴な義務を
手放すことになる


「魂の世話」という言葉は、ソクラテスが刑死する日に話した言葉で、「哲学とは肉体によって縛られている魂を解放し浄化することである」と言っている

真の生きがいは、その人にとっての「たましいの世話」をすることかもしれない

theme : 生き方
genre : ライフ

「生きがいとは何か?」その8

「生きがいとは何か?」をテーマに
友人と文通を始めて一年が過ぎた
いまだ継続中で、ますます熱を帯びてきたw

その7で紹介した、友人からの手紙に
どう返事を書こうか思いめぐらせている中で
新たに出逢った言葉の贈り物がある

その1でも取り上げた
若松英輔さん解説の神谷恵美子著「生きがいについて」
「生きがいとは何か?」その1

NHK「100分de名著」で語りきれなかったことを
さらに深堀りした内容の伊集院光著「名著の話」を読んで
またしても開眼させられた言葉の数々

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伊集院さんと若松さんが深堀りしながら繰り広げる
「生きがいについて」の復習対談を
一緒に聴いているかのように何度も何度も読み返した

以下、青字は全て引用抜粋

人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したとき。しかし、経済的事情や人間関係の中で義務のみが大きくなって生きがいを見失っていく。

生きがいは徹底的に質的なもの。金銭や権力と言った量的なものと関係し始めたら、それはもう、真の意味での「生きがい」ではない。「生きがい」の発見とは、いつか行わなくてはならない人生の宿題でもある。
「生きがい」は、社会的なものではなく、どこまでも個的/個人的なもの。世にただ一つのもので、目に見えづらいから、他の人にはわからないもの。愛や尊厳にも似て、言葉では言い尽くせないもの。

存在の深みから自分の生の意味とありかを照らし出すような何か。人は、生きて「生きがい」をつくるのではなく、「生きがい」があるからこそ、生きられるのだ。気がつかない「生きがい」、意識され得ない「生きがい」というのもあるのではないか。

国や企業が「生きがいのある社会」「生きがいのある仕事」というものとは、全く異なるもの。国や企業は「生きがい」のモデルを演出する。しかし、真の「生きがい」は、それぞれ、全く異なる姿をしている。世の中に絶対ということは少ないが、「私は二人いない」のは絶対の真理。人生もそう。「生きがい」も同じ。

ところが人は、自分だけの「生きがい」を探しているにもかかわらず、誰かと同じように生きようとする。自分は世にただひとつの存在なのに、誰かのように生きようとする。そうした途端に見えにくくなるのが「生きがい」。「生きがい」は、個の生を根底から支えるもの。それを発見するには、自分の人生と深くつながらなくてはならない。

そして、私が最も胸を突かれたのは
死者に対する尊厳について語られたところだった

死者とはこの世を後にし、亡くなった人ではなく、不可視な姿で新生した存在だと神谷さんは感じている。
伴侶と死に別れた後、自分の中から、亡くなった人が「新しく生まれる」といいたくなるような感じがあった。亡くなってしまった命から、亡くならない「いのち」に変わり、それが自分を通じて出てくるような感覚が今もある。
亡くなるということは消滅ではなくて、姿を変えて自分の中に宿り直すことなのではないか。それは肉親などの近しい人ばかりとは限らない。『生きがいについて』を読むと、神谷さんを通じて、多くの「いのち」が生み直されている気さえする。


生きる意味の発見は、死者の発見ととても似た感覚で行われる。そして、私たちが死者の存在を信じるのに、別に宗教も特別な思想も要らない。「生きがい」にも同じことがいえるのではないか。

これは、私も長男を亡くしているのでよくわかる感覚だ
もう何度も新しく生まれるかのように
亡くなった子からのメッセージが届くから…
人生のいろんなステージで…
(具体的に言葉が降りてくるわけではなく、気づきが与えられる感じ)

人生の中でいろんなことが起きて
生きる意味を見失うこともあるけれど
何度も姿を変えて自分の中に宿り直す
それが生きる意味であり、「生きがい」なのかな

今、同時に読んでいるのが
若松さんの「詩集 たましいの世話」と「言葉を植えた人」

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若松英輔さんの著書は、もう何冊も持っている
紡がれるそのメッセージに
何度触れても、心が震えるのはなぜだろう

若松さんの言葉に触れると
心の中にある、私自身が気づいていなかった
何かが反応する

まるで、待っていたかのように
やっとわかってくれたんだね…とでも言うように

だから、何度も読んで味わっている

伊集院さんと若松さんが語り合ったように
私も友人と、このテーマで語り合いたいもんじゃ~~~
手紙もいいけど、会って話がしたいわ


theme : ♪人生・生き方♪
genre : ライフ

「生きがいとは何か?」その7

このテーマで文通している友人から
久々に手紙が届きました

私がお薦めした本
レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」と
若松英輔「いのちの秘儀~センス・オブ・ワンダーの教え~」
この二冊を読んで、感想を書いて送ってくれたのでした

友人の心の琴線に触れた言葉
下線文は、友人が強調して記した箇所)

『何かを探求する道が開けるとき、そこにあるのは「よろこび」と「楽しみ」がある。ただ、この「よろこび」と「楽しみ」が、私たちの存在の深みにふれるものであることが大事なのだと思います。たとえそれがあるとき苦しかったとしても、人はそれを楽しむことができる。何かを本気でやっているときはそうです。』

『苦しいけれども、そこによろこびがある。やはり楽しみだと言いたくなる何かがあるのだと思います。苦しいという経験を経ながら、あるいは経るからこそ、本当に楽しめる何か、というものを私たちは見つけていきたいと考えているのではないでしょうか。それは「センス・オブ・ワンダー」の基盤のように感じられます。』

学ぶということも人間の本能なのではないのか。』

『自分が何者であるかということを知らずして人は個の人生を生き抜くのは難しい。それだけでなく、一度たりとも真剣にわが身を賭して自分を知ることのない人生、それはやはりどこか物寂しいものになるのではないでしょうか。どうにかして「学び」の本能開花させる。それは生きる意味の発見とも直結するのではないでしょうか。』

『感覚とは「感(うご)いている」ものへの目覚め、すなわち「いのち」への目覚めだといえそうです。感覚を養うとは単に遠くを見たり、多くを知ったりすることではありません。深い場所で世界とつながることなのです。』

『センス・オブ・ワンダーが動き出すとき私たちは注意深く世界を見るだけでなく、繊細に人の心も感じるようになるのではないでしょうか。』

『生き抜く勇気。危機の時代にといては、心身の飢えを満たす「人生の糧」が必要になる。「センス・オブ・ワンダー」とは、それを見失わないちからでもあるのです。』

『現実社会では目を覆いたくなるような出来事も少なくありません。同時にそうした試練のなかでも何かを愛しみ、日々を大切に生きていきたいと強く願う私たちがいます。ここではたらいているのが「」なのです。』

『「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身を置くすべての人が手に入れられるものなのです。」ここでいう「終わりのないよろこび」こそ「センス・オブ・ワンダー」にほかなりません。私たちはいつでも準備さえ整えば、「終わりのないよろこび」を発見することができる。つまり、私たちはすでに「終わりのないよろこび」のなかで生きている。そうレイチェルは感じているのです。』

友人は特に、「終わりのないよろこび」の中で生きている
…というところを読んだ時
体が反応して、涙が込み上げてきたんだそうです
そして、ふっと「死ぬまでの宿題」というコトバが湧いてきたと…

センス・オブ・ワンダーの感覚について、もっと深く知りたい
その感覚を育てたい
死ぬまでやっていきたい私の宿題ができたという感覚
今はまだ未知、未熟な私のセンス・オブ・ワンダーを育てていきたいと…

毎日、土に触れる生活をしている友人にとって
自然に触れる終わりのないよろこびを
これからは意識して感じてみたいと…

子どもの頃いやいややっていた教科学習の宿題じゃなくて
自ら進んでやりたくなるような
死ぬまでやりたい宿題を見つけた喜び
そして、本を紹介した私への感謝が綴られていました

友人とは、30年前頃に出逢って
約10年くらいのあいだ、濃密な時間を共有した人
それこそ、今やり取りしているような
存在の深みに触れるような深い対話を
会うたびにしていた

しばらくのブランクを経て
いま再び邂逅した幸せ

「センス・オブ・ワンダー」をキーワードに
生きる意味について語り合える人がいること
そのこと自体がすでに人生の糧であり、よろこびだ

友人の庭で育ったラベンダー&レモングラス
IMG20230220114350.jpg

ラベンダーは押し花で届いたので
パウチして栞にして使っている
レモングラスはハーブティーに


theme : ♪人生・生き方♪
genre : ライフ

「生きがいとは何か?」その6

「生きがいとは何か?」シリーズも6回目
もはや、友人への手紙の記録とは関係なく続けそうww

前回、「センス・オブ・ワンダー」について書いたけど
この感覚こそが、生きがいに通じる鍵になるんじゃないか?
…と思う

最近読んだ、若松英輔さんの新著「いのちの秘儀」は
この「センス・オブ・ワンダー」の教えがテーマだった




書き留めておきたい言葉があったので
抜粋して記しておきたい

センス・オブ・ワンダーは
自然のような、言葉を語らないものからの贈り物を受け取るちから
それは、「心」が私たちに呼びかけてくる声

センス・オブ・ワンダーがはたらくとき
「いのち」の輝きをはっきりと認識する

地球は言葉では語らないが
豊かなコトバでいつも語りかけている
センス・オブ・ワンダーは、言葉の奥にコトバを感じ取るちから

センス・オブ・ワンダーがはたらかないと
生きがいや希望、生きる意味を見失う
センス・オブ・ワンダーは
心身の飢えを満たす「人生の糧」を見失わないちから

 「遠藤周作は、生活と人生は同じではないと書いています。毎日の仕事に追われ、人間関係やお金のことで悩みを抱えている。これは、「生活」の次元です。その一方で、私たちは、自分とは何か、他者とは何か、生きる意味とは何かを問うことがあります。これが「人生」の次元です。
 彼の言葉を読むと、この二つが折り重なるところに何か大切なものがあるようなのです。私たちは、この二つの「生」をともに「生きる」必要がある。どんなにお金を持っていても、自分が見失われた人生は、大変に苦しいものです。感動がなくても生活していくことはできます。しかし、人生を生きるとなると感動は不可欠です。
 感動は、「あたま」のはたらきではなく、「いのち」のはたらきである、とレイチェルは感じています。「あたま」ではなく、「いのち」を感じ、動かせるようにすること、それも「センス・オブ・ワンダー」のはたらきなのです。」(「朽ちることのないよろこび」125P)


自分の人生を見失わないために
生きがいを見失わないために
センス・オブ・ワンダーが必要

センス・オブ・ワンダーをはたらかせる感受性こそ
自分の人生を生きるちからになる

やっぱり、生きがいには
センス・オブ・ワンダーが不可欠なんじゃないかなぁ?

theme : ♪人生・生き方♪
genre : ライフ

「生きがいとは何か?」その5

この「生きがいとは何か?」シリーズ
まだまだ続きそう

先日、再び手紙が届いた

「生きがいについて」
勧められた本を読み、そう簡単じゃないというのが分かったこと
もう少し、熟成させようと思っていること
…などが綴られていた

私も、ずっと考え続けている
その中で、また一つ思い浮かんだのが
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」

生物学者の福岡伸一さんがいろいろなところで
この事について書かれている

 子どもの育ちにとってもっとも大切なものはなんだろう。それは早々と九九が言えたり、英語がしゃべれたりすることではないはずだ。知ることよりもまず感じること。そういったのは、卓越した先見性を持って環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンである。彼女は「センス・オブ・ワンダー」という言葉を使った。驚きを感じる心、とでも訳せようか。何に対する驚きか。それは自然の精妙さ、繊細さ、あるいは美しさに対してである。

 自然とは、アマゾンやアフリカのような大自然である必要は全然ないと思う。ほんの小自然でよい。近くの公園や水辺? いや、コンクリートに囲まれ、空調の中に住み、電脳世界に支配される私たちにとって、もっとも身近な自然とは、自分自身の生命にほかならない。私たちはふいに生まれ、いつか必ず死ぬ。病を得れば伏し、切れば血を流す。それこそが自然だ。そして私の生命はいつもまわりの自然と直接的につながっている。

 心臓の鼓動がセミしぐれの声に、吐いた白い息が冷たい空気の中に、あふれた涙がにじんだ夕日に溶けていく心がセンス・オブ・ワンダーである。それは大人になってもその人を支えつづける。私の好きな高野公彦に次の歌がある。〈青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき〉
(朝日新聞朝刊〈福岡伸一の動的平衡〉「命の美しさ 感じる心こそ」より)


福岡さんの著書「ルリボシカミキリの青」の一節にも…

「大切なのは、何かひとつ好きなことがあること、その好きなことがずっと好きであり続けられることの旅程が驚くほど豊かで、君を一瞬たりともあきさせることがないということ。そしてそれは静かに君を励ましつづける。最後の最後まで励ましつづける。」

2019年に放送されたNHKスペシャル
 「ボクの自学ノート ~7年間の小さな大冒険~」でも
この一節を額縁にいれて飾っていたというエピソードが紹介されていた
少年と母親を、ずっとずっと励まし続けた言葉として…

「ルリボシカミキリの青」のプロローグには、こうも書かれている

 ある日の夕方、ふと空を見上げると沈みかけた夕陽に照らされてたなびく雲が流れてゆくのを眺めるときがある。ちぎれた細い雲の先の空は、もう群青色におおわれて、青がすっかり濃くなっている。そこに君は小さな星がまたたいているのに気づく。またたく星は、風にかきけされそうだけど、わずかな輝きは失われることがない。でもその光は果てしなく遠くにある。君はその時の、そんな気持ちを忘れないでいてほしい。それは時を経て、くりかえし君の上にあらわれる。それはいつか読んだ小説の中にもあったし、山崎まさよしの歌の中にもある。あるいは一千二百年前の万葉集の中にでも。

その人にとってのセンス・オブ・ワンダーを見つけること
何か心惹かれる、ワクワクする、ずっと好きでい続けられる何か
その人の人生を支えてくれるもの

私のセンス・オブ・ワンダーは何だろう?

私も同じように、沈みかけた夕陽の美しさに見惚れて
眺めたことが何度もある

夕焼けに感動するシーンで思い出すのは
「生きがいとは何か?」その1でも紹介した
フランクル著「夜と霧」に出てくるシーンだ

アウシュビッツから収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から
茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見て
心を奪われている情景が描かれる

生に終止符を打たれ、生きる意味を全て失われた人達が
美しい自然に魅了されて
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と、涙する
あの有名なシーンだ

福岡ハカセが言うように
私たちの身体こそが「自然」で
常にまわりの自然と直接的につながっている
夕焼けを見て感動する感受性は
人のDNAに深く刻まれているのかもしれない

自然とつながっている自分に気づく感受性
生かされていることの不思議に気づく心は
子どもの育ちだけでなく
人が生きるうえで、いちばん大切な気がする


CIMG2589.jpg
(我が家のベランダから撮影した夕陽)


theme : ♪人生・生き方♪
genre : ライフ

プロフィール

きなこ

Author:きなこ
広島県在住。卯年の魚座。出身はポルノグラフィティと同じ。目の前が海という環境で育ったので、終の棲家もオーシャンビューを探す。2014年故郷の近くに転居。2006年3月9日ブログ開始。

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