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孫という不思議な存在その4

この夏、Kの長女Yちゃんが
1歳の誕生日を迎える🎊🎂✨
私たちにとって2人目の孫👶

お祝いの御祝儀は次に会う時に渡すけど
少しばかりの記念品として
絵本やぬいぐるみやお菓子
おさがりの絵本とメッセージを添えて贈った🎁

IMG20230806090527.jpg

お菓子はGWに会えたら~と思って用意していたけど
帰って来なかったので
この便に同封することにした
大豆アレルギーがあるらしいので
大豆が入ってないものを選んだんだけど…
もしダメだったら、パパママに食べてもらおうw

絵本「わたしのワンピース」は
Kが1歳の時のおさがり

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落書きが残ってたり、シミができていたり
年季が入っとる
でも、自分が読んでもらっていたものを
娘にも読んであげるって
なかなか味わい深いじゃろ?

小さく生まれたYちゃん
すくすくと育ってくれている
ありがたいねぇ

小さな赤ちゃんを身近に感じる時
過去にタイムスリップしてしまうことがある

先日、亡くなった息子のことが思い出されて
久しぶりに泣いた

孫のYちゃんが「小さく」生まれただけに
記憶のスイッチが入ったのかもしれない

若松英輔さんの「悲しみの秘儀」を読んでいた時だった
繰り返し繰り返し、読み返している本のひとつで
何の気なしにパラパラとめくって
読んでいたときだった

「逝った大切な人を思うとき、人は悲しみを感じる。だがそれはしばしば、単なる悲嘆では終わらない。悲しみは別離に伴う現象ではなく、亡き者の訪れを告げる出来事だと感じることはないだろうか。」

「…死者は単に亡くなった人を指すのではない。姿は見えず、その声も聞こえることはないのだが、確かに存在すると感じられる、いわば「生きている死者」だ。」

「死者のコトバが沈黙であることを私たちは忘れてはならないのだろう。沈黙はつねに言語を超えたはらたきを持つ。」


若松さんのコトバが呼び水になったのかもしれない
たったいま、体験したかのように
息子を亡くしたときの悲しみが蘇ってきた

悲しみと一緒に
いまここに、息子が居るかのように
ありありと存在を感じた
若松さんの言う「死者との新しい邂逅」かもしれない

もう二度と会えない人を思って
悲しみに暮れるときにこそ
その人がそばに感じられるときなのかもしれない

「すでに逝き、もう二度とその姿を認識することができないと思っていた人の存在を、悲しみのなかに見い出したとき」

「姿は見えず、ふれることも、互いに言葉で語り合うこともできない。しかし、確かに実在する。悲しみのなかに生きている。そうはっきりと書き得たとき、歓びと悲しみは、同じ心情の二つの顔であると知った。」


「「かなしみ」が悲痛の経験には終わらず、哀憐の「哀しみ」となり、悲愛の発見となる「愛しみ」となり、悲しみのなかに咲く美しい花に出会う「美しみ」となる。」
「人生には悲しみの扉を通じてしか見ることのできない地平がある」


孫は私に
新しい人生の扉を開けてくれる不思議な存在である
もうすぐそこに、もう一人加わる
Tの2人目の子ども、私たちにとって3人目の孫が誕生する


Sano-Hey! Calendar8月
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プロフィール

きなこ

Author:きなこ
広島県在住。卯年の魚座。0型。生まれはポルノグラフィティと同じ。窓から海が見える家で育ったので海が好き。2014年に故郷の近くに転居。2006年3月9日ブログ開始。

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